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国民戦線 (フランス) : ミニ英和和英辞書
国民戦線 (フランス)[こくみんせんせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
国民 : [こくみん]
 【名詞】 1. national 2. people 3. citizen 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦線 : [せんせん]
 【名詞】 1. (war) front 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランス : [らんす]
 【名詞】 1. lance 2. (n) lance

国民戦線 (フランス) : ウィキペディア日本語版
国民戦線 (フランス)[こくみんせんせん]

国民戦線(こくみんせんせん、; FN)は、フランス政党。党首は、マリーヌ・ル・ペン。反EU移民排斥を掲げている。2005年におきた移民による暴動以来、移民に対する反感が強まっているフランスにおいて急速に支持を伸ばしている。近年、政権入りが現実味を帯びてきたことから、支持層を広げるため、移民排斥以外の主張については緩和させる傾向にある。
== 概要 ==

1972年10月にアルジェリア独立反対派などの右派勢力が集まって、ジャン=マリー・ル・ペンが創設した。結成当初は、弱小政党だったが、1980年代に入りフランス経済が悪化し失業者が急増すると支持を広げていき選挙ごとに票が増えていった。1986年国民議会議員選挙では選挙制度比例代表制に変わったことから、270万3442票(9.7パーセント)を得て、35議席獲得した。しかし、それ以降は小選挙区制に戻ったことから、0-1議席と低迷する。1997年以降、景気が回復し失業率が解消され始めると支持率が低下した。さらにル・ペン党首の度重なる暴言や1997年国民議会議員選挙時の社会党候補に対する暴行事件にナンバー2のブルーノ・メグレが反発。また同選挙では1名を当選させたが、公職選挙法違反などで当選無効となった。
1998年12月の欧州議会選挙を巡って対立は激しくなり、メグレ派は離党して1999年1月に新政党「共和国運動」を結成、国民戦線に打撃を与えた。この時期に党員や活動員をかなり減らしたが、数年で勢力を回復し2002年の大統領選挙に出馬したル・ペンは、決戦投票まで残り世界を驚愕させた。2004年欧州議会議員選挙ではフランス全土で168万4868票(9.8パーセント)を得て7議席獲得した。2005年に発生したパリ郊外暴動事件以後の世論調査ではさらに支持を伸ばした。
フランス人至上主義を掲げ黒人やイスラム系の移民排斥(ただし、フランスの文化を尊重する移民は拒まない)を唱えているが、他国からの移民によってフランス人としての権利が奪われているという感情から一部のフランスの海外県や海外領土の黒人からも支持を得ている。また、ル・ペンの側近の一人ブルーノ・ゴルニッシュ京都大学に留学した経験を持ち妻は日本人である。ル・ペン自身、日本の(そしてスイスの)国籍法を支持している。
2011年1月16日の党大会でル・ペンの三女であるマリーヌ・ル・ペンが新党首に選ばれた。2012年の大統領選挙でマリーヌが獲得した得票率17.90%は、国民戦線の大統領候補者としては最高記録である。大統領選挙直後に行われた議会総選挙では、マリー・ルペン前党首の孫娘であるマリオン・マレシャル=ルペン弁護士ジルベール・コラールの2名が当選、14年ぶりに国民議会における議席を復活させた。なお、元国民戦線党員のオランジュ市長ジャック・ボンパールを含めると右派勢力は3議席となる。
2013年10月13日ヴァール県議会補欠選挙の決選投票において国民戦線の候補が得票率54%で当選した。地方の1議席をめぐる争いであったが、フィガロ紙は「国家的影響がある」と大きく報じた。2013年10月公表の世論調査では、翌年5月の欧州議会選挙での投票先を国民戦線と回答した者が24%となり、国民運動連合(22%)や社会党(19%)を上回って首位となった。
2013年10月、アラン・ドロンがスイス紙とのインタビューで「国民戦線は重要な位置を占めている。よいことだと思うし、理解もする」と国民戦線への支持を公言した。このことが物議を醸し、同氏は10月18日に美女コンテスト「ミス・フランス」運営委員会の名誉会長を辞任した。
の第1回投票では5%の票を獲得、2008年の第1回投票時の得票率0.9%を大きく上回り躍進、ルペン党首は「FNは主要な独立勢力の段階に到達した。国家レベルでも地方レベルでも、ひとつの政治勢力となった」と語った。また、第1回投票においてアヴィニョンエナン=ボーモンで第1位となったことが大きな話題となった。3月30日に行われた第2回投票では得票率6.8%となり、14以上の自治体で第1党となった。
2014年欧州議会議員選挙 (フランス)では、約25%の得票を得て24議席を獲得、大躍進を果たす。マニュエル・ヴァルス首相は、選挙結果を「警鐘どころではない。衝撃であり、地震だ」と述べた。フランソワ・オランド大統領は選挙結果を受けて閣僚らの緊急会議を招集した。
マリーヌ・ルペン党首となってからは穏健路線を模索しており、政権獲得も視野に入ってきたことから、反ユダヤ的発言など相変わらず右翼的発言を繰り返すジャン=マリー・ルペン名誉党首との父娘の確執が深まり、ジャン=マリー・ルペンは2015年5月に国民戦線の党員資格を停止され、10月には党を除名された。ジャン=マリー・ルペン元名誉党首は新党「Blue, White and Red Rally」を結成した。
2015年11月に起きたパリ同時多発テロ事件の直後となる、2015年12月6日に実施されたフランスの州議会議員選挙(比例代表2回投票制)では、国民戦線は「反移民」をスローガンに掲げ、テロへの不安を背景に支持を取り込んだ。第1回投票におけるフランス全体での得票率は28%と、2010年に行なわれた前回選挙の11%から躍進し、全13の選挙区のうち6つで首位となり、特にジャン=マリー・ルペン党首の選挙区とマリオン・マレシャル=ルペンの選挙区ではそれぞれ41%の得票率を獲得し、第2回投票で第一党となる可能性が出た。これをうけ、与党の社会党は第2回投票で「極右の躍進阻止」をスローガンに掲げ、2002年の大統領選以来となる選挙協力を実施。上記2つの選挙区での出馬を取りやめ、ニコラ・サルコジ前大統領の率いる共和党への投票を呼び掛けた結果、国民戦線は全ての選挙区で敗北した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「国民戦線 (フランス)」の詳細全文を読む




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